瞬くように過ぎた365日で考えたこと、やったことー思い込みの感情を断ち切る

2024年は何かに区切りをつけた1年でした。
2025年になりました。今日は1月7日。七草粥の日ですね。
その準備をしようと、タイムスというスーパーで大根とセリ(のようなもの)を買ってきたところです。
夕飯はゆっくりと七草粥(実際は二草粥ですが)をいただき、疲れた胃を休めます。
さて、2024年も多くのお客様に支えらた1年間でした。
本当にありがとうございました。
少しづつですが、リピーターのお客様が増え、またお客様からのご紹介で新しいご縁をいただくようになり、心から有り難く思っております。
仕事と併せて、2024年は個人的にも人生の節目と思えるようなイベントが多々あり、日本とハワイを往復する生活でした。
2024年以前から自分の運勢の流れを眺めていましたが、特に還暦を迎える2024年は、自分の人生をまとめ始める年、もう少しポイントを絞った言い方をするならば、「自分の遺書」を作り始める年であったと思います。
「遺書」なんて大袈裟な表現ですが、これまでの自分を振り返り、これからの自分を想像して現時点での自分の思い確認するといった感じの作業です。
具体的には本当に遺書も書きましたが、振り返りの作業を繰り返すことで自分がいかに多くの人に支えられ、またすでに自分がいかに多くの宝物を手にしていたかを感じ、心底からありがたいと思える感情を体験できたことはとてもよかったと思っています。
もちろん数々の失敗があり、思い出すのも嫌なことも多々あるのですが、それさへも黙って許してくれている人たちが沢山いたのだと今更ながら思うことができました。

自分の感覚・感情(思い込み)を洗い出し、疑ってみる
いい年をして本当に恥ずかしいのですが、少し前まで、自分はどちらかといえば、世の中で役に立っている方かな、と思っていました。
これは占い鑑定士だから、ということではなく、家族や友人、職場の人間関係において、「人から必要とされる人物なのではないか」と思っていたところがあるのです。
しかし、実際はそうでもないんですよね。
みなさん、ちゃんと生きておられる。
自分という存在は、「いても全然OKだけど、いなきゃ行けない人」でもないよなぁ、と悟ったのは、60歳を過ぎてからでした。
確かに「人から必要とされているのだ、だから頑張るのだ」、この考えは悪くないでしょう。
でも心がもう一つ広くない私は、「色々やってるんだから、もうちょっと評価されてもいいんじゃないの?」、「ありがとうの言葉はないの?」と、なんだかつまらない気分になることが度々ありました。
でも、でもですよ。
冷静に考えると、これは幼稚ですよね。
「やだな、60歳を過ぎても人からの評価を待っている自分なんで」と思い、そして「あ〜、もうやめた、もっとすっきり生きよう!と思いました。
そしてやったことは、自分から誰かに連絡を取ることを極力、無くしたのです。
1人で淡々と生活する。
そして、1人で無事に生きていることを感謝する。
それだけにしたのです。
別に人嫌いになったのではなく、また誰か特定の人に感謝をするというのではなく、ただ、「無事に生きていること」に感謝しよう、と思いました。
最初はなんとなく寂しい気もしましたが、でも、家のラナイから見えるダイヤモンドヘッドや海を眺め、山から吹く風を感じ、夜は月と星を眺める、そんな静かな生活をしていると、不思議と「ありがたい」気持ちになるんですね。
私がいなくても、人はみんな、一人一人、ちゃんと生きている。
だから、私も1人でちゃんと生きよう、と感じています。

こころが楽
それまで囚われていた感情がなくなったせいか、今は心というか頭が空っぽになったような感覚があります。
普通に生活しているのですが、また他人を無視して生きているわけでもないのですが、ただなんとなく心が軽い感じがします。
これからどんなふうに人生が展開するでしょう?
占い鑑定的に言えば、これからはグングン良くなるはず!
この感情を捨てたことも、一つのきっかけになれば、と思う2025年ハワイのお正月です。
(この記事はnoteにも掲載してします。)














































